再び、北へ。その1―祈りの灯を、ともす [大地震、それからの日々]
この海に訪れ、去ってゆくもの。

8月15日夜、これが2度目になる唐桑でのボランティアに向けて出発しました。
気仙沼行きの夜行バスはちょっと高いので、格安のバスでまずは仙台へ行きます。
震災の1ヶ月前に出張で訪れていた、仙台。
今では、以前の生活が戻っているように見えます。

高速バスを乗り継いで、JR気仙沼駅へ。
(面倒なようですが、ここでかなり交通費が節約できてます。)

乗り入れている路線は、大船渡線と気仙沼線の2路線ですが、現在は大船渡線の一ノ関~気仙沼間しか運行していません。
お昼を食べて、駅前のお菓子屋さんに立ち寄り、おやつを少しだけ買いました。
すると、店員さんが、「大きな荷物ですね。ボランティアの方ですか?」
これから唐桑に行く、と答えると、奥のほうから包みを出してきました。
「カステラの耳です。冷凍してあるから、着く頃には解凍されてますよ。皆さんでどうぞ」
まだ行く途中なのに、現地の方の心遣いが本当に温かい。ありがとうございました。
路線バスに乗り、唐桑半島の巨釜半造入口バス停へ。
そこから荷物を背負って20分ほど歩き、あの海岸亭へ到着。
しかし、海岸亭がなぜか休業日で、中のボランティアセンター(VC)に入れません。
留守番してるはずの総務の人もいない上に、雨まで降ってきたよぉぉ(T▽T)
作業していたみんなが帰ってきて、やっと中に入ることができました。
2度目なので簡単に受付を済ませ、夕方の現場へ向かいます。
向かったのは、鮪立(しびたち)地区。
唐桑の中でも、津波で大きな被害を受けた地区のひとつです。
ここで、16日の夕方、送り盆が行われます。
これに行きたくて、あわただしく15日の夜に出発したのです。
壊れた家の前に、追悼の灯をともすための準備中。

地盤沈下のため、満潮が近くなると、海のそばの低い土地は冠水してしまいます。
港から、それに続く道路に沿っては、ペットボトルで作った灯篭が、ずらっと並べられます。
それが、いったいどこまでかと思うくらい、ずーっと遠くまで続いています。
今年の送り盆は、設営や当日の点火作業など、各地から来たボランティアが協力して行われました。
ワタシの、唐桑での最初の仕事は、この灯篭の中のロウソクに火をつけていくこと。
子供達がメッセージを書いた、灯篭もあります。

「早くもとの生活に戻れますように」といった、復興を願うもの。
「全国のみなさん支援ありがとう」と、各地からの支援に感謝するもの。
そして・・・
「津波のバカヤロー。二度と来るな」といった、怒りのこもったもの。
津波の傷跡も生々しい風景の中、その叫びが胸に刺さります。
暗くなり、港を望む斜面に、灯篭を並べてつくった「キズナ」「ガンバローしびたち」の文字が浮かび上がりました。

合図があって、港に並べられた灯篭にも、灯がともされていきます。
チャッカ○ン持って走ったワタシも、ずらっと並んだ灯に、目を奪われます。


海沿いには、本来もっと家々の灯があったはずだけど、今は海とひとつづきの闇が広がっています・・・
灯篭を並べて送り盆をするのは、鮪立では毎年恒例なのだそうです。
でも、今年の送り盆は、地域の方々にとって、いつもと違った思いがあったのではないでしょうか。
追悼の灯りもともりました。

この灯りの前で、ミニコンサートも行われました。
歌声が流れる中、ワタシと他数人は、お風呂へ向かうため途中退場。
港へ続く道路に並んでいた灯篭にも、いつのまにか灯がともされ、帰り道に浮かび上がっていました。
失われたものと、これから続いていくもの。
きっと、すべての祈りが、ひとつひとつの灯に宿り、海へと御霊を送る・・・
そんな日に、ワタシはこの唐桑に戻ってきました。
気仙沼市内の銭湯でお風呂に入り、VCに戻ってから、あわただしく晩ご飯を食べて就寝。
7月に来た時いた人に、また会っちゃったりして(笑)
ここはリピーターがとても多いのです(ワタシもだ)。
こうして、2度目の唐桑での日々が始まりました。
続きます。
前回の記事もよかったらどうぞ
北へ。その1―そこに、海がある
北へ。その2―そこに、心がある
北へ。その3―そこに、人がいる

8月15日夜、これが2度目になる唐桑でのボランティアに向けて出発しました。
気仙沼行きの夜行バスはちょっと高いので、格安のバスでまずは仙台へ行きます。
震災の1ヶ月前に出張で訪れていた、仙台。
今では、以前の生活が戻っているように見えます。

高速バスを乗り継いで、JR気仙沼駅へ。
(面倒なようですが、ここでかなり交通費が節約できてます。)

乗り入れている路線は、大船渡線と気仙沼線の2路線ですが、現在は大船渡線の一ノ関~気仙沼間しか運行していません。
お昼を食べて、駅前のお菓子屋さんに立ち寄り、おやつを少しだけ買いました。
すると、店員さんが、「大きな荷物ですね。ボランティアの方ですか?」
これから唐桑に行く、と答えると、奥のほうから包みを出してきました。
「カステラの耳です。冷凍してあるから、着く頃には解凍されてますよ。皆さんでどうぞ」
まだ行く途中なのに、現地の方の心遣いが本当に温かい。ありがとうございました。
路線バスに乗り、唐桑半島の巨釜半造入口バス停へ。
そこから荷物を背負って20分ほど歩き、あの海岸亭へ到着。
しかし、海岸亭がなぜか休業日で、中のボランティアセンター(VC)に入れません。
留守番してるはずの総務の人もいない上に、雨まで降ってきたよぉぉ(T▽T)
作業していたみんなが帰ってきて、やっと中に入ることができました。
2度目なので簡単に受付を済ませ、夕方の現場へ向かいます。
向かったのは、鮪立(しびたち)地区。
唐桑の中でも、津波で大きな被害を受けた地区のひとつです。
ここで、16日の夕方、送り盆が行われます。
これに行きたくて、あわただしく15日の夜に出発したのです。
壊れた家の前に、追悼の灯をともすための準備中。

地盤沈下のため、満潮が近くなると、海のそばの低い土地は冠水してしまいます。
港から、それに続く道路に沿っては、ペットボトルで作った灯篭が、ずらっと並べられます。
それが、いったいどこまでかと思うくらい、ずーっと遠くまで続いています。
今年の送り盆は、設営や当日の点火作業など、各地から来たボランティアが協力して行われました。
ワタシの、唐桑での最初の仕事は、この灯篭の中のロウソクに火をつけていくこと。
子供達がメッセージを書いた、灯篭もあります。

「早くもとの生活に戻れますように」といった、復興を願うもの。
「全国のみなさん支援ありがとう」と、各地からの支援に感謝するもの。
そして・・・
「津波のバカヤロー。二度と来るな」といった、怒りのこもったもの。
津波の傷跡も生々しい風景の中、その叫びが胸に刺さります。
暗くなり、港を望む斜面に、灯篭を並べてつくった「キズナ」「ガンバローしびたち」の文字が浮かび上がりました。

合図があって、港に並べられた灯篭にも、灯がともされていきます。
チャッカ○ン持って走ったワタシも、ずらっと並んだ灯に、目を奪われます。


海沿いには、本来もっと家々の灯があったはずだけど、今は海とひとつづきの闇が広がっています・・・
灯篭を並べて送り盆をするのは、鮪立では毎年恒例なのだそうです。
でも、今年の送り盆は、地域の方々にとって、いつもと違った思いがあったのではないでしょうか。
追悼の灯りもともりました。

この灯りの前で、ミニコンサートも行われました。
歌声が流れる中、ワタシと他数人は、お風呂へ向かうため途中退場。
港へ続く道路に並んでいた灯篭にも、いつのまにか灯がともされ、帰り道に浮かび上がっていました。
失われたものと、これから続いていくもの。
きっと、すべての祈りが、ひとつひとつの灯に宿り、海へと御霊を送る・・・
そんな日に、ワタシはこの唐桑に戻ってきました。
気仙沼市内の銭湯でお風呂に入り、VCに戻ってから、あわただしく晩ご飯を食べて就寝。
7月に来た時いた人に、また会っちゃったりして(笑)
ここはリピーターがとても多いのです(ワタシもだ)。
こうして、2度目の唐桑での日々が始まりました。
続きます。
前回の記事もよかったらどうぞ
北へ。その1―そこに、海がある
北へ。その2―そこに、心がある
北へ。その3―そこに、人がいる
2011-08-28 00:40
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コメント(15)
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地盤沈下したとこの満潮時の水没すごいね。こればっかりはどうにもならんもんなぁ・・・。「津波のバカヤロー。二度と来るな」は心に響きます。まあでも、来るんだよねどうしても。
と、偶然のふりして狙い撃ち。
by pitts (2011-08-28 17:58)
お疲れ様でした
灯籠流しは観たこと無いですねー
きっと心に残る想い出に成るんでしょね
by 北海 熊五郎 (2011-08-28 18:51)
こんにちは。
お疲れ様でした。
亡くなった方を送るのも、大事な事ですね。
by HIRO (2011-08-29 06:18)
灯篭流しは、隣の亘理町によく見に行きました。
お盆の最終日、花火大会もかねていました。
ろうそくの灯って、違いますよね。言葉が吸い込まれていく気がします。
波間にゆれる灯篭の灯。思い出すなぁ。
今年の灯篭の灯には、いろんな思いが詰まっているから、特に幽玄だったと
思います。
by hoshizou (2011-08-29 23:02)
お疲れさまです。
追悼のお手伝いもあるんですね。
心が洗われます。
by luces (2011-08-30 00:12)
お疲れさまでした。
灯籠は幻想的だけど、それ以前に
今回は重い思いが沢山詰まっていますね・・・
by oko (2011-08-30 06:12)
pittsさん
被災した沿岸部全体で、こういった現象が起きているんです。
土を盛っても、その下から海水が染み出てくる。
これだけでも、沿岸部の復興の大変さがわかります。
ひとつひとつの灯篭の文字を読んでいたら、胸にくるものがありました。
確かに、三陸は津波多発地帯だし、人間ができることには限界がありますね。
巨大堤防で囲んじゃうわけにもいかないし・・・
ちゅーわけで、7000nice!はpittsさんでした。狙ったな(笑)何も出ませんが。
北海 熊五郎さん
子供の頃、灯篭を乗せた木の小船を海に流す、本来の灯篭流しをしたことがあります。
ゴミ問題などのため、最近ではやるところもないようですが。
生々しい思いのこもった灯篭の灯は、その場にいたみんなの心に残ったと思います。
HIROさん
唐桑でも、100人ほどが亡くなったそうです。
こうして、亡くなった方への思いを、少しずつ整理していくプロセスは、将来に向けても大切なことだと思います。
hoshizouさん
亘理町も、まだまだ復興への作業が続いていると聞いています。
灯篭も花火も、お盆に帰ってきた御霊を見送る灯だったんですね。
こんなに幽玄で、心に染み入るロウソクの灯は、たぶん初めて見ました。
たくさんのボランティアたちも、ロウソクの灯にこもった思いを、少しだけでも共有していたような気がします。
lucesさん
お盆前後は、お祭のお手伝いなどの作業が多かったようです。
ワタシは、これしか参加できませんでしたが・・・
代々住んできた土地への思いが、伝わってくるようでした。
okoさん
キャンドルのイベントは数あれど、ここまで思いの詰まったロウソクの灯を、初めて見たように思います。
地元の方も、ボランティアたちも、それぞれの思いをもって、見ているようでしたよ。
by しろのぽ (2011-08-30 16:27)
ボランティアの人同士の絆もあって良いですね。
美しい送り火の風景。忘れられませんね。
by key-k (2011-08-30 16:46)
key-kさん
おっとすれ違っちゃった(^^;
現地では、ボランティアの横のつながりもできていました。
あとの記事でちょこっと書けると思います。
この送り火の美しさ、そして切なさは、ずっと忘れないと思います。
by しろのぽ (2011-08-30 16:54)
最初のお仕事。
とっても素敵な、そして感じるところが多くある仕事でしたね。
この灯りを見ていたら泣けました。
灯りが照らすこの海に、まだまだ沢山の人が眠っている。
本当に鎮魂の灯りだなって感じます。
by リュカ (2011-08-30 20:45)
リュカさん
飲んでても泣かせるコメントではないですか(笑)
送り盆から今回の唐桑生活を始められてよかったと思ってます。
漁師さんのなかには、遺体を収容した方もいらっしゃいます。
見つかっていない方は、きっと海にいるのだろうと・・・
それでも海のそばに暮らし、鎮魂の灯をともす。
さまざまな思いが、この灯を美しくしているように思います。
by しろのぽ (2011-08-31 13:13)
今年、東北はあちことで
普通と違った送り盆だったとおもいます
気仙沼駅前のお菓子屋さん
何人もボランティアの方が立ち寄ったんでしょうね
by T2 (2011-08-31 19:09)
T2さん
見落とすところでした(^^;
たくさんの方が亡くなり、街が流されて、お祭ができるかどうかも危うかったところがたくさんあると思います。
鮪立で、こうして送り盆ができてよかったです。
お菓子屋さんは駅前にあるので、立ち寄る人も多かったのでしょうね。
by しろのぽ (2011-09-05 01:18)
日本人の血の中に流れる魂の交歓、
たんに夏の風物詩といった程度の認識でしたが、
さすがにこの夏はお盆を意識しました。
しろのぽさんにとっても、いつもとは違った思いに包まれたのではないでしょうか?
by e-g-g (2011-09-05 19:48)
e-g-gさん
おっと、見落とすところでした(^^;
もう10年以上、お盆って何?みたいな暮らしをしてきました。
うちの事情が色々と複雑で、もういいよ、みたいなところもあったんですが。
そんなワタシにも、この送り盆に込められたものが、静かに伝わってきたように思えました。
by しろのぽ (2011-09-08 00:40)